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アテネ五輪バドミントン女子シングルス日本代表
米倉加奈子選手
(2004.08.07)
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2004年5月6日、アテネ五輪女子シングルス日本代表と発表された米倉加奈子選手の2003年5月1日から2004年4月30日までの出場権獲得チャレンジをまとめてみます。世界ランキング(WR)は、2004年5月1日付け。 |
グレード |
大会名 |
他国五輪代表予定選手との対戦結果1 |
大会最終日 |
成績 |
他国五輪代表予定選手との対戦結果2 |
バドミントンの対戦を観戦していると、勝ちたいから頑張る、一番になりたい、負けたくないという部分がストレートに伝わる選手が多い中、私は、米倉選手に違うものを感じていました。攻めるより、相手の出方を受けて立つタイプのプレースタイル。自分より相手のことを考え続けているのは、コートの中だけではないのではないか。誰かのために、応援してくれるみんなのために、チームのために。。。 米倉選手は、そういう選手のように思います。
ですから、シドニー五輪をケガの影響でベスト16の成績で終えた米倉選手が、それまでコーチとふたり、世界各地で戦ってきた環境を離れ、実業団チーム、日本リーグ1部のヨネックスチームに所属することを知ったとき、とてもうれしかったです。
米倉加奈子
選手は、1976年10月29日、東京都生まれ。東京都 小平ジュニアクラブ、東京都 立川第八中学校、茨城県 常総学院高校、つくば国際大学、茨城トヨペットを経て、ヨネックスチーム所属の27才(アテネ五輪開催時)。右利き。五輪は二度目の出場。
国内でのシングルスのおもな戦績は、2年時、全日本ジュニア新人の部優勝。3年時、全日本中学校大会優勝。2年〜4年時、全日本学生選手権優勝。
ランキングサーキット1999優勝。全日本社会人選手権大会1999、2002優勝。全日本総合選手権大会2000優勝。
アジア大会1998優勝。スイスオープン1999、シンガポールオープン1999、ベスト4。アジア選手権1999、デンマークオープン1999、ベスト8。韓国オープン2000準優勝、スウェーデンオープン2000優勝、シドニー五輪2000ベスト16。世界選手権2001、2003ベスト8。ヨネックスオープン2002、ベスト8。タイオープン2003準優勝。など。
他に、アジア大会2002、ユーバー杯1998、2002、2004日本代表。
米倉選手にとって、シドニー後の2001年は、新しい態勢に慣れるための年。時に、笑顔のない険しい顔が印象的でした。2002年は、国際バドミントン連盟のルール改正によって7点5ゲーム制にチャレンジした年。攻撃的なショットが増え、スピード感あふれる試合運びに新生米倉選手が誕生したようでした。そして、また、11点3ゲーム制に戻った2003年は、アテネ五輪出場権を確実にするために転戦に次ぐ転戦の年となりました。
バンコク アジア大会1998優勝により、国際的に高い評価を得、日本の米倉から世界の米倉へ。より高いレベルでライバルたちに もまれる月日。日本女子シングルス選手の顔として、いつもにこやかにマスコミの取材に登場していました。タフで忍耐力がいる立場をきちんと務めることができる選手です。
いつも強い米倉選手を期待されて、激しい努力を惜しまない強さ。もっと強くなるために、考え続ける誠実さ。積み上げた自分の考えを大切にする頑強さ。
「絶対、一番じゃなきゃイヤだ。」という、なりふり構わない米倉選手を想像できない私は、まだ、バドミントンの真実をわかっていないのかもしれません。
アテネの地で自分を貫いて、輝く時が持てるよう応援しています。
【関連リンク・参考文献】
*日本バドミントン協会
アテネオリンピック情報
米倉加奈子
選手
*国際バドミントン連盟のサイト
World Badminton
Online
Latest
Results のサイト
*国際バドミントン連盟のサイト
World Badminton
Online
米倉加奈子選手(女子単)のプロフィール
*ヨネックス www.yonex.co.jp
バドミントンのサイト
米倉加奈子選手が所属している
*小平ジュニアバドミントンクラブ(東京都小平市)
米倉選手が通った小中学生のためのバドミントンクラブ
*JOC
アスリートメッセージ
バドミントン 米倉加奈子 舛田圭太 山田英孝
*カレント・バドミントン
リンク集
米倉加奈子選手を知る、応援する
*バドミントン情報 from 京都
全日本の大会の結果情報ならこちら。
見やすく充実の内容がうれしい。
*カレント・コラム
トマス杯・ユーバー杯代表とアテネ五輪出場
日本代表選手〜2004.9
*カレント・コラム
2003年日本のトップ選手は?
*バドミントン・マガジン 1998年11月号
「Court Cruising」
米倉加奈子
*バドミントン・マガジン 1998年12月号
「第49回全日本学生選手権
3連覇の米倉加奈子に涙…」
*バドミントン・マガジン 1999年3月号
「バンコクアジア大会 バンコクの奇跡」
米倉加奈子
*バドミントン・マガジン 1999年3月号
「インタビュー シンデレラの焦燥。」
米倉加奈子
*バドミントン・マガジン 1999年7月号
「クラブ訪問 小平ジュニア」
シャトルは昔から水鳥を使っています。
*バドミントン・マガジン 1999年9月号
「特別企画 カムバック」
米倉加奈子
「自分のことよりも、まわりに迷惑をかけたことがくやしかった」
「年なんです」
*バドミントン・マガジン 1999年10月号
「CATCH UP この選手に急接近」
米倉加奈子
*バドミントン・マガジン 2000年8月号
「日本代表9人 シドニーへの思い」
*バドミントン・マガジン 2001年1月号
「全日本総合選手権2000
米倉加奈子が悲願達成」
*バドミントン・マガジン 2001年6月号
「密着!王者はこうしてつくられる」
米倉加奈子
「ラケットとシャトルが当たるときの感覚 大切にしている」
*バドミントン・マガジン 2001年8月号
「セビリア世界選手権2001」
米倉加奈子 ベスト8
*バドミントン・マガジン 2002年10月号
「GO FOR Busan」
米倉加奈子
「心の駆け引きで勝ってきたがランク上の場所では技術体力が不十分」
「スピードは上がった。駆け引きは下手になった。良くなっている部分も失っている部分も」
*バドミントン・マガジン 2003年7月号
「私のとっておき」
サラダピラフ 米倉加奈子
*バドミントン・マガジン 2004年4月号
「ワールドランカー名鑑」
*バドミントン・マガジン 2004年6月号
「アテネ五輪代表決定」勝負はこれから!
*バドミントン・マガジン 2004年7月号
「トマス杯/ユーバー杯レビュー」
この輝きとともに前へ
*バドミントン・マガジン 2004年8月号
「五輪日本代表インタビュー」
いざアテネへ!
*バドミントン・マガジン 2003年〜2004年の各号 ほか
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