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アテネ五輪バドミントン男子シングルス日本代表
山田英孝選手
(2004.06.26)
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2004年5月6日、アテネ五輪男子シングルス日本代表と発表された山田英孝選手の2003年5月1日から2004年4月30日までの出場権獲得チャレンジをまとめてみます。世界ランキング(WR)は、2004年5月1日付け。 |
グレード |
大会名 |
他国五輪代表予定選手との対戦結果1 |
大会最終日 |
成績 |
他国五輪代表予定選手との対戦結果2 |
A |
ウェストオーストラリア国際2003 |
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2003.07.06 |
ベスト4(WR12へ) |
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A |
南アフリカ国際2003 |
佐藤翔治(日本 WR24)15-11 12-15 7-15 |
2003.06.16 |
準優勝(WR14へ) |
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日本では、レクリェーションとして広く親しまれているバドミントンですが、競技としてのバドミントンは、特有な軌跡を描いて飛ぶシャトルの特性を活かし、スピードとテクニック、そして頭脳を駆使した上、体力、持久力も競い合う、とても厳しく奥の深いスポーツです。
なかでも男子シングルスは、最速では 300Km/時を超えるというシャトルスピードの緩急を使い分け、自らの得意パターンに持ち込むために展開される駆け引きが超ダイナミックで魅了されます。
山田英孝選手は、1976年6月22日、兵庫県生まれ。埼玉県
東浦和学校、埼玉県 上尾高校、早稲田大学を経て、日本ユニシスバドミントン部所属の28才(アテネ五輪開催時)。右利き。五輪へは、シドニー大会シングルスに続き2回目の出場。
五輪出場レース終盤、日本選手出場最終枠をかけ、佐々木 翔選手と2番手を競った山田英孝選手は、フィンランド国際、クロアチア国際のふたつのAグレード大会で優勝を果たして、世界ランキングポイント112点差で世界ランキング26位としてアテネへの切符を手にしました。(佐々木選手は、27位。)
国内でのおもな戦績は全てシングルスで、2年時、全日本ジュニア選手権大会準優勝。2年時、全国高等学校選抜選手権大会準優勝。3年時、全国高等学校選手権大会優勝。
1年時、全日本学生大会3位。全日本総合選手権大会3位。2年時、全日本学生大会優勝。全日本総合選手権大会準優勝。3年時、全日本学生大会準優勝。
社会人1年目の1999年、日本ランキングサーキット準優勝。全日本総合選手権大会3位。2000年、シドニー五輪出場。全日本総合選手権大会3位。2001年〜2002年、全日本社会人選手権大会優勝など。
前回のシドニー五輪2000では、初戦で第1シードのインドネシア、タウフィック・ヒダヤット選手と対戦。敗れたとはいえ、5-15 17-14 8-15
と素晴らしい戦いぶりで優勝候補を揺さぶりました。
ケガとの戦いに苦しんだ期間も長く、コートの中では、激しく自分と戦うロンリーウルフの印象を残してきた山田英孝選手ですが、ベテランと呼ばれるようになり、日本チームの柱のひとつとして視野を広げた発言が頼もしい昨今です。
アテネでは、長く苦しかった世界転戦の成果を生かし、全てを出し切って戦ってくれるものと思います。1年間で26の国際大会に参戦し、五輪と同じ7星大会の世界選手権2003では、ベスト16に入っている山田英孝選手、魔物の住む五輪会場の雰囲気に負けず、強い心で世界を驚かせるパフォーマンスを期待しています!
【関連リンク・参考文献】
*日本バドミントン協会
アテネオリンピック情報のサイト
山田英孝選手
*『Club Unisys』『バドクラブ』のサイト
山田英孝選手の情報がいっぱい。
*日本ユニシス バドミントン部のホームページ
*『MASAのホームページ』
2002年11月2日付け「MASAのウィ−ン便り」
1人でヨ−ロッパに乗り込んで来た山田英孝選手
*『シティウェーブ』「イマ旬スポーツマン」
バドミントン
山田英孝
*国際バドミントン連盟のサイト
World Badminton
Online
Latest
Results のサイト
アテネ五輪2004のサイト
*バドミントン情報 from 京都
全日本の大会の結果情報ならこちら。
見やすく充実の内容がうれしい。
*バドミントン・マガジン 2001年11月号
「全日本社会人選手権」男子シングルス
遠回りのあとで 山田英孝に涙の栄冠
*バドミントン・マガジン
2003年〜2004年の各号 ほか
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